• [生活] 森と湖に抱かれたコタンの生活
  • [芸能] 神々と共に踊る、歌う
  • [口承文学] ユーカラ(サコロペ)はアイヌ特有の文学
  • [伝承・祭礼] 神々に感謝を捧げる
  • [衣服・文様] 文様に想いを込める
  • [継承文化] 時を超え現代へと紡ぐ

アイヌ文化遺産情報発信の館 阿寒湖温泉歴史文化交流ゾーン <イコロ>

秋辺 日出男氏 語る。 阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事 18歳の秋、カナダインディアンとの交流に参加し、先住民族の問題は地球規模であることを知る。ユーカラ劇、アイヌ詞曲舞踊団モシリなどに出演。木彫、講演活動、観光などを通じて、アイヌ文化の普及に務めている。

アイヌ民族的現代思考

私はここ阿寒国立公園に生まれ育ったアイヌで、豊かな自然に囲まれながら時には野生の鹿や熊の出会いがあるような恵まれた環境に居るせいか、それらがいかに人間に必要で大切であるかと思うことしばしばである。

今になって思えば、私は子供のころからアイヌ民族の持つ考え方に知らず知らずに触れる機会が多かったように思う。それは育ったところがアイヌ民族の集まるこのアイヌコタンであったことが大きいだろう。

その子供のころから聞かされてきたことが(今流行りの現代思考)生物多様性に通じるものだったと最近考えている。たとえば祖母がいっていた言葉を父が私に教えてくれた「この地面は生き物なんだよ」というものだが、子供だった父は不思議なことをいうもんだと思って石ころを蹴ってみたりしながら理由を聞くと「地面というものは人間が汚した水をきれいにしてくれるし、虫や草花を養っている、温かい温泉も地面から沸き出してくる」「だから地面というものは生き物なんだ!」といっていたそうだ。明治生まれで読み書きもできないし、学校すら行ったことも無い無学な祖母ではあるが、物事の本質を見抜くアイヌ民族の知恵が表れていて今どきのガイアと地球をとらえる考えに通じる話である。

また私がよく子供のころ蛇をいじめて怒られたものであった。「蛇はタンネ・カムイといって大切な神様だ」というのだ。またザリガニもカエルも虫も神様なので悪戯をしてはいけないと教えられた。今ならそれぞれの役割があるのだし、いじめは良くないということだということは理解しているが、子供はそうはいかない。子供の世界では生き物はたちまち、おもちゃになるのだがアイヌの大人はそのような子供の都合は認めてくれなかった。そのくせ父は特別天然記念物の特大マリモを半分に割って干して帽子にしていた。「あれは暖かくてよかった」などと言っていた。(それは法律違反だよ)

一度、酒好きの私に南の友人からハブ酒を送られたことがあった。嬉しくて棚に入れて置きそのうちいただこうと思っていたのだが、いつの間にか無くなってしまったのだ。我が家から勝手に一升瓶を持ち出す者がいる筈がないのにおかしいなと思っていたところ父が犯人だった。山に持って行って一升瓶からハブを出して埋めて丁重にカムイノミアイヌの祝詞)をして謝っておいたから安心しろというのだ。私としては「はぁ?」だった。だが父はいたってまじめ顔で感謝しろと言わんばかりの態度なので何だか納得しないがその時は一応お礼を述べた。勝手に自分の物を捨てられておまけに感謝までせにゃぁならん! 父はタンネ・カムイが酒漬けになって瓶に入っているのがしのびなく申し訳なく思ったのだ。今ならアイヌの伝統的な考え方がそうさせたのだと納得するが若かった時分はピンとこなかった。今は充分納得。でもちょっとくらい飲んでからでもよかったのにと思わないわけでもない。

つまり人間の都合だけで周りの動物でも植物でも勝手に活用するのはアイヌ民族にとっては認められない考え方なのである。充分に自然資源を利活用するアイヌ民族だが、それだけに合理的で再生可能でありながら彼らの都合や言葉に耳を傾け、感謝と共に共生するのがアイヌ的な生物多様性なのだ。アイヌは昔からその考え方から発信していた。それをこんな風にアイヌ語で表現した。「カント オワ ヤク サノ アランケ シネ カ イサ」(天から役目無しに降ろされたものは何一つ無い)と云うものだ。そしてやっと最近の近代文明がアイヌの言葉に耳を傾けだし始めた!
これこそ生物多様性っていっていいかな?!